人の多面性を理解するのが難しい
今回はASD人間である私が苦手だなと感じることについてお話ししたいと思います。
テーマはずばり「人の多面性を理解する」です。
人の多面性とは?
人の多面性とは、その人がもつ性格や考え方、個性などは一つではないということです。
友達と遊ぶとき、上司と話すとき、動物に接するとき、一人でいるとき、SNSをしているとき、ブログを書いているときなどなど・・・
人間は状況に応じて自分の性格や個性は変わります。それら全てがその人であり切り離せない要素でありながら、表面に現れるのはごく一部です。
友達と遊んでいる時ならずっと同じ性格というわけでもなく、嫌なことを忘れて楽しめているときと、嫌なことを思い出してしまったときの態度や気分は、人によっては正反対の場合もあるかもしれません。
接する人によって言葉遣いや態度が大きく変わることも普通です。上司と部下、客と店員、親と子供、隣人、兄弟間、クラスメイトなどなど・・・
人の多面性を理解することが苦手
では人の多面性を理解するのが苦手な人間である私の場合、何がどう苦手なのかを書いていきます。
まず、他人の評価をグラフ化するとしたら、グラフが一本しかない状況です。
例として、上司に怒られたとしましょう。当然ですが、
- 上司に怒られた
という事実があります。
私はこの「上司に怒られた」という状況のみが頭に強く残り、その他のことは考えられなくなってしまいます。
定型発達の人は・・・
では普通の人はどうかというと、
- 自分がダメなことをしたから怒られた
- 上司の機嫌が悪くてやつあたりされた
- 上司とは考え方が合わない
- 怒られて当然のことをやらかした
などいろいろな状況を考えると思います。
「上司に怒られた」という事実と、上記のような状況がいくつか考えることができると、仕分けもできるようになります。
「正当な理由で怒られた」「不当な理由で怒られた」「不幸な状況が重なっただけ、正当でも不当でもない」といった風に仕分けができると思います。
実際のところは・・・
では実際はどうなのかというと、
- 上司の生育環境が良くなかったがために性格に問題があった
- 会社の経営がうまくいかず、その波が来た
- 自覚できないが病気の影響でぼーっとしていた
などのわかりにくい状況や、もっと関係のない背景があると思います。
普通の人には関係があるのかもわからないレベルの小さな原因があるのかもしれません。
サイコロに例えるとわかりやすい
サイコロに例えるとわかりやすいと思います。
サイコロは見る角度によって一面、二面、三面まで見えますが、実際のところは六面あります。
この面の数がASDの人は一面しか見えず、普通の人は二面、三面見えて、実際は六面というのは、なかなかに的を射た例えだなと感心してます。
普通の人に私が感じている世界を説明するとしたらこの例えはかなり便利です。
- ミスをして上司に怒られた
この一面だけが見えているとして、「誰が悪かったと思いますか?」と聞けば結果はバラバラだと思います。
「自分が悪かった」「上司が悪い」「誰も悪くない」この三つから選べと言っても、多くの人は即座には決めれません。
悩んだ結果、自分が怒られた際の経験を頼りにする人、自分が悪いことをするとは考えにくいという考え方をする人、自分が悪くなくても反省して次に生かさなければいけないと考える人、といった人間性によって答えは変わってくると思います。
次に、
- ミスをして上司に怒られた
- 上司の機嫌が悪かった
- ミスはマニュアル通りにやった結果だった
この三面が見えているとして、「誰が悪かったと思いますか?」と聞いて「自分が悪かった」と答える人はかなりのひねくれものでしょう。
主観的でなければ理解できる
私は今書いているように、主観的でなければ理解ができます。
しかし、主観的なことになった途端に驚くほど視野が狭くなってしまいます。
私がこの特性に気が付いたのは二年ほど前だったかと思いますが、気づいたからといって簡単に変えられるものでもないんですよね。
ただ、この特性を理解していないときとは比べ物にならないほど人間関係は改善した方だなと思います。
今までの私の考え方だと、私は判断材料が少ないまま判断をしなければいけない状況の連続で、しかも判断材料が少ないことに本人は気づいていないのです。
そして日本文化の影響だと思いますが謙虚な態度を求められますし、私は責任感の強いタイプの人間でしたし、自身の悪い部分を理解していないというのは嫌でした。
その結果、私は「すべてを自分の責任だと思い込んでしまう人」になっていたんですよね。
周囲からはどうしてそんなことまで自分の責任だと思い込んでしまうのか理解できないレベルだったそうですが、それを知ったのは二年前だったので、よく生きていたなと言われたこともあります。
同じASDでも現れ方が真反対に
ちなみに同じASDでも症状は真反対、なんてことはめちゃくちゃ多いと思っています。
私は「すべてを自分の責任だと思い込んでしまう人」というほぼ自傷行為みたいなことを繰り返す人間でしたが、
逆に「すべてを他人の責任だと思い込んでしまう人」も存在するのです。ASDの人で他人を傷つけてしまうタイプの人はこれに近いのではないかなと思います。
人の多面性を理解できないがために、ひたすら自傷行為に走るか、他人をひたすらに傷つけるか、という究極のよくわからない二択が出来上がっていますね。
というわけでASD人間である私は多面性を理解するのが難しいというお話でした。
WAIS-IV 受けてきました
WAIS-IVというIQテストを受けてきましたので、その結果を書き留めたいと思います。
まずIQテストの種類によって何が違うかを考えてみましたが、「知能への解釈」だと言えると思います。
今調べたのですが、WAIS-IVというかウェクスラー式のIQテストは、知識を「目的を持って行動し、合理的に考え、効率的に環境と接する個人の総合的能力」と定義しているらしいです。
さらにWAIS-IVは「言語理解」「知覚推理」「ワーキングメモリー」「処理速度」の4つの要素から構成されているので、知能は様々な能力から構成されている、という考えのもと作られているようですね。
まだ本などでこのIQテストがどんなものなのか調べられていないので、今後はIQテストへの解釈も深めていきたいと思います。
IQの分布
まず私のIQテストの結果を見ていきたいと思います。
どこかの誰かに使われても嫌なので愛猫に登場してもらい、名前もでかでかと貼り付けてみました。
一応個人情報みたいなものだと思うので、具体的な数値は画像内だけにします。
数値の正確性はあるのか
まずこの数値の正確性はあるのかどうか、を考えたいと思います。
この紙をもらう時に検査を行ってもらった方に色々と分析や見解を教えていただいたので、それを書きます。
まず上限が140だそうで、検査項目の数によってはもっと上の数値も出るようですね。
私は発達障害を疑ってこの検査を受けましたが、患者への負担が少なくなるように検査項目を少なくしてもらったのかもしれません。
詳しく検査をする必要がないから、という理由や検査をする方にもよるのかもしれません。
IQテストは内容を知ると正確な結果が得られないと聞き、良く知らないまま受けたのであまり詳しい質問ができないのは誤算でした。
また、検査は病院に紹介状のようなものを書いてもらって、大学に行って受けました。
検査する方に不慣れな点は多少見られたので、経験が少ない方に検査をしてもらったのかもしれませんが、検査の方法も確立されているはずですし、大きく異なるということも考えにくいのかなとは思います。
各項目の数値の見解
では各項目について考えていきますが、
まず言語理解に関しては一般的な知識も含まれるのですが、私は中学校から不登校だったため、一般的に生きてきたならば答えられる部分がもっとあっただろうということだそうです。
それを反映してこの数値なのか、それともこの数値は反映せずに書かれたものなのか聞きそびれましたが、おそらく反映してこの数値なのだろうとは思います。
知覚推理に関してはよくできていたそうで特に言われることはありませんでした。
ワーキングメモリーに関しては、単純なケアレスミスが目立ったり、
数を決まった順番に答えていく検査項目では一番難しい項目が最後までできており、逆に最初は出来がよくなかったので、
「集中力にムラがある」「切り替えが難しい」という見解をされました。
聴覚よりも視覚情報の処理が得意なようなので、何かに書き留めたり、メモを張り付けたりするのが良いみたいです。
備忘録替わりにブログを書いてみようと思ったのもこれが要因の一つです。
処理速度に関しては記載しているときの様子などを見ていても、実際よりも低く出た感じはしないようです。
ほかの項目と比べて数値が低いので、早さを要求されるものよりも完成度を重視したほうが良いようです。
またそれぞれの項目間の数値にばらつきが見られると言える数値だそうです。
有意性?がどうとかおっしゃっていたと思います。
実際どうなのだろう・・・
まだ検査結果を聞いてから病院を受診しておらず、病院の見解は聞けていません。
発達障害の診断の材料の一つとして検査を実施しましたが、診断をもらえるのかどうか不安というか、
「あなたは発達障害ではなく、普通の人です。」
と言われてしまうのが一番怖いです。
考えるだけ無駄なので思考はストップしますが、障碍者手帳があるかないかで働けるところが変わったりすると思うので、診断が貰えるならばありがたいことにかわりはありません。
ただ発達障害でもないのに発達障害と診断をもらうのは違うと思いますし、社交不安症や適応障害の診断は貰えるかなと思うので、
これからどういう形になっても社会復帰出来たら良いなと思います。
ブログ始めました
初めまして、晋次郎と申します。
初めての投稿で緊張しております。
という前置きをしつつ、ブログを初めた経緯と、どんな内容を書くかについてこの記事で方針を決めつつ明言しておきたいと思います。
私はどんな人か
まず私がどんな人かなんとなく知っていただければと思います。
現状ですが、私は無職で何もしておりません。
約一年ほど前に鬱病になり、アルバイトを辞めてしまいました。
仕事をしている時は精神的に余裕のない状態で、自分で自分のことをコントロールできず、最終的には私生活がままならない状況になってしまいました。
どうしてそのような状況になってしまったのかという理由はいくつか考えられますが、
- 自己理解不足から合わない職種の選択
- 人間関係の不和
- 適切な支援を受けるという選択をしなかった
などが挙げられます。
今は自分の今後を考える余裕も出てきましたが、ここ一年は本当につらかったのだと思います。
そして私は中学生の時にもうつ病になり、不登校だったという経験があります。
人間関係がうまくいかず、それを周りに理解をしてもらうことも難しく、悩みを相談できる人も当時はいませんでした。
病院を受診しましたが病院の先生との相性も悪く、いくつもの病院を回ることも難しく、自宅で休むだけという選択をしました。
その後は少しずつ登校ができる日を増やしていきましたが、不登校で出席日数の加減で高校受験も受からず通信制高校に通うことになり、さらにうつ病は悪化していきました。
どうしてブログを書こうと思ったのか
どうしてブログを書こうと思ったのかといいますと、私は自分が普通の人間ではないことにようやく気付いたからです。
・・・とだけ書くと中二病みたいですが、私は自身が発達障害などを抱えているのでは、と考えています。
- 合わない周囲
- 集中力、注意力の特異性
- 人間関係がうまくいかない
などなど・・・
一般的な人からすれば「気のせいでは?」と思われることもありますが、私は半ば確信しているというか、発達障害でなくともなんらかの特性によりうまくいかないのだろうなと思っています。
周囲の「気のせいでは?」という言葉を鵜呑みにしてきた結果、自分に合わない選択をしてきたり、普通の人が感じることのないストレスをため込んで爆発してしまった、というのが今までの私の人生だと考えています。
「自分の考え方だけが正しい!」という生き方は問題ですが、私が今までしてきた「自分の考え方は間違っている!」という生き方はもっと問題かもしれません。
「私は私の考え方で生きる」と「周囲の意見を聞く」は共存できますし、
「俯瞰的な視点で物事を考える」スタンスで今後は生きていきたいと思っています。
今後どんな記事を書いていきたいか
今後書いていきたいと思っている記事は、私の脳内をそのまま記事にしたいなと思っています。
- 脳内を一度整理して、書き留めたい
というのが一番大きな理由です。
次の記事に書くと思いますが、私はワーキングメモリーが比較的低く、考えていることなどを書いたりして保存しておくことが効果的なようです。
一度文章にすることで自分が脳内でなんとなく考えていることを言葉にできますし、
「あれ?自分の考えていることがおかしいぞ?」
「これは絶対覚えておかなきゃ!」
「うーん、これはどういうことなのかもっと深く考えないと・・・」
といったように仕分けもできます。
また、
- 自分の経験が誰かの役に立てばうれしい
という理由もあります。
私自身、誰かが書き残してくれたもののおかげで自己理解が少しづつできてきたと実感しているので、いつか私の経験が誰かのためになればこれ以上に嬉しいことはないなと思っている次第です。
副次的な理由なので、気づいたらこうなってた、くらいが理想ですね。
最後に
長々と書きましたが、結局は「私の、私による、私のためのブログ」です。
誰かに見てもらうことを前提には考えていませんし、誰かを意識して書くことも絶対にしません。
私は私のありのままの考えを書き残し、軌跡として残したいと思います。
当面の目標としては社会復帰を目指して、中長期的には自分の特性と向き合って、もっと概念的には私のためにこのブログを書いていきます。